自分の中に「毒」を持て

最近、本のヒット率が高いっす。

つまり「読んでみたら”アタリ”だった」ってことが多いんです。

5割近いんじゃないかな。

これまでは、せいぜい1割くらいだったんですけどね。

今回は、この本。

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「自分の中に毒を持て」と言う。

そういえば、大河ドラマ「葵徳川三代」で、津川雅彦演じる徳川家康が、西田敏行演じる息子の秀忠に「心の中に一匹の鬼を飼わねばならぬ」と言っていたことを思い出します。

この本を手に取ったのは、何でもない理由です。

「芸術家って、どんな言葉を発しているんだろう?」

って思っただけです。

これまでにも芸術家、書家、デザイナーの書いた本を読んだことはあったけど、「ぶっ飛んじゃってる人」のコトバって、聴いたことがなかったなぁ。と思って。

おまえは本当にそれでいいのか?

驚きましたねぇ。

ワシャ本を読むという行為は、「著者と自分の一対一の関係をつくること」だと思っています。

自分がいて、著者がいる。面と向かって教えを請う。

場合によっては、叱られる。場合によっては慰められる。

そんなイメージで読んでいます。

今回の本は、これまでとは全く違った「関係」でした。

ドアを開けるなり、いきなりこちらに跳びかかってきて胸倉をつかまれ、壁に押し付けられて、のど元にナイフを突き付けられたカンジ。

お前は本当にそれでいいのか?

自分のことを正しいと思って、自惚れているんじゃないか?

何とか言ってみろ

実際にこのようなセリフが出てくるわけではありませんが、こんなイメージで、猛烈な勢いでこちらに迫ってきます。

一行一行が、バクハツしてます。

こちらの「常識だと思っていること」や、「まぁこれでいいか」と半ばあきらめているようなことに、挑んできます。

こちらも「何をっ!」という気概をもって、押し返すような気持ちで読まないと、相手に押し切られて、谷底に突き落とされてしまいそうになります。

「自分に忠実」と称して狭い枠の中に自分を守って、カッコよく生きようとするのは、自分自身に甘えているにすぎない。

実力がない?けっこうだ。チャンスがなければ、それもけっこう。うまくいかないときは、素直に悲しむより方法がないじゃないか。

エゴイストにならなければ、いわゆる「しあわせ」ではあり得ない。ニブイ人間だけが「しあわせ」なんだ。

自信なんてものは、どうでもいいじゃないか。そんなもので行動したら、ロクなことはないと思う。(中略)そもそも自分を他と比べるから、自信などというものが問題になってくるのだ。

世のすべての中でもっとも怖ろしいものは己れ自身である。あらゆる真実も愚劣も、己れにおいて結局は決定されるのだ

矛盾は結構だ。矛盾を、むしろ面白いと考え、そのズレを平気で突き出せばいいのだ。

もうね。血が飛び散りそうですよ。

一方で、自信が持てない人や、自分を持て余している人たちを強く励ましているところも魅力です。

文章の表現力が多彩。
「ワケわからない、ちょっとイカれた人」というイメージはまったくありません。

小学校高学年でショーペンハウエルを読んでいたといいます。とんでもない多読家らしいです。

「わりと本を読むほうです」なんて恥ずかしくて言えない。

どうやら、こういったのを「圧倒的な存在」と言うらしい

正しいとか間違ってるとか、そんなものはとうの昔にどうでもよくなっているような姿です。

うまくいくかいかないかも、どうでもよくなっています。

ただ、「中途半端な気持ち」は厳しく諌めているところが目に付きます。

「本気で命を賭けている」とは、こうゆうことなのだろうと。

ワシが以前の記事で書いた「本分を全うする」とは、こうゆうことなのだろうと。

こうでなくては、圧倒的な存在にはなれないのだろうと。

そんなふうに感じました。

この本を「こうゆう本だ」と結ぶのは、ワシの拙い文章力ではどうやら難しそうです。

でも、これだけの圧力をもって、素手で相手の首根っこをひっ掴まんばかりにこちらに迫ってくる本も珍しいです。

食べたいものを食べたいときに食べると、これほどウマく感じることはありませんよね。

今回は、心のどこかでワシ自身が求めていた本に出会えたような気がしています。