「話すように書く」のがいいことだと思えない理由

最初、どのような経緯でこういった発想が広まったのか、よく知りません。

「話すように書くべし。」

たぶん、最初にこれを言い出した人と、実践している人とでは、かなり意識に開きがあるんじゃないかと思います。

実際「話すように書いている」とブログ上で公言している人の文章を読むと、わかりにくいというか

「何が言いたいのかわからない」
「文章量に対する意味がほとんど無い」

と感じることも、よくあります。

エッセイや単なる日記に「意味」を求めるのは筋違いかもしれません。

でも、読んでいる人は貴重な時間を使って読んでいるわけですし、
読み終わった後で

チェッ、つまらない文を読んで損した

とは思ってほしくないですもんね。

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話してわからないことは、そのまま書いてもわからない

最初にお伝えしたいのは、この点なんです。

会話というのは多くの場合「考えながら話す」ものです。

「考えながら」なので、途中で話がねじれたり、同じことを何度も繰り返したり、横道にそれたりと、話が散漫になることが、よくありますよね。

同じようにして「話すように」書いたとしたら?

つまり話すように書くと、内容が散漫になりやすい、ってことです。

会話でそれが許されるのは、「聞き手との関係性、距離感」が共有されているからです。

つまり

「仲良しであれば、冗長な会話も許される」
「仲良しであるからこそダラダラしたおしゃべりを楽しむことができる」
「聞き手が理解できないときは尋ねることができる」

からなんです。

話し言葉で書くと「切れ目」が明確でない

会話では

~でさ、~だから~しちゃって、それで~してたら・・・

というように、際限なく「文」が続くことも多いです。

これをそのまま文章にしたら、読むほうはたまったものではありませんね(よく見かけますが。笑)

会話では、「間」だとか「抑揚」「表情」などから話の展開を読むことができます。

書く文章では「間」や「抑揚」は伝えにくいモノです。

だからこそ、「書く文章」では「。」や「、」だとか、語順が大事になってくるんですね。

「話すように書く」のは「書き言葉の利点を捨てる」こと

書く文章が会話とことなる点は「考えてから発信することができる」という点です。

整理しないまま発信すると、読者を混乱させてしまう可能性が高くなります。

ふだんからフリートークで「整理された会話」ができる人は「話すように書く」くらいでちょうどいいと思います。

でも、フリーでトークで「整理して話す」ことができない人は、「話すように書く」のはキケンです。

ではなぜ「話すように書くべし」と言われるのか

「話すように書くべし」と言っている人の真意はわかりませんが、おそらくこうゆう事ではないかと思うんです。

書き言葉ならではの「硬さ」を排除して、おしゃべりするときのようなソフトな印象で書くべし

これなら、理解できますね。

「である」だとか「なのだ」というように、書き言葉独特の言いまわしをすると、堅苦しく、親しみを感じにくいことがあります。

だとしたら、話すときのような「ですよね」「じゃないですか」といった「言いまわし」の部分だけを、おしゃべり的に使えばいいだけですね。

決して「おしゃべりするときのように無計画に、整頓されていない状態で書くべし」と言っているわけではないと思うんです。

基本的に、ブログは各自が自由な書き方でいいと思うんです。

でも「知らない人を含め、多くの人に読んでほしい」と思うのであれば、それなりの心構えは必要ですよね。

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