負の感情と向き合わないと「本当の自分」は見えてこない

SNSやブログでは「美しいコトバ」「美しいココロ」が踊っていますよね。

とくに、セラピストやヒーラーなど、メンタルに関わる商売をしている人は、たとえ本当の自分の心の状態がどうであれ、表面上はポジティブなコトバを連発しなくてはいけない運命にあります。

同業者同士でのケンカをやめ、みんながハッピーになるように

批判をしてもはじまらない。ポジティブに行きましょう

たしかに「そうあろうとする気持ち」は大事だと思います。

でも、そのように言っている人は、ホントに嫌いな人がひとりもいないのでしょうか?

人を批判することはないんでしょうか?

いわれのない攻撃を受けても黙って受け流すことができるのでしょうか?

仲良くなってホンネを語れる間柄になれば別ですが、ネット上だけの関係だと「無理してポジティブに振る舞っている」ように見えることもあり、見ているこちらが息苦しくなってくることもあります。

嫌いな人がいるのに、「いないように振る舞う」理由

嫌悪、虚偽、軽蔑、嫉妬、諦念、失望、傲慢、憎悪…

こういった感情を持つことがない人のほうが稀です。

こういった「負の感情」から解放されれば、聖人になれるでしょうね。

でも、多くの人は、そういった感情を持ってしまいます。

多くの人は、そういった感情を持ってしまうのは「自分が人間として未熟だから」という認識を持っています。

だから、隠そうとします。

隠した「負の感情」は押しつぶされ、陰湿な形で姿を現すことも多くなります。

…特にネット上ではね。

ブログ上でキレまくって、
「あぁ、あの人は未熟だなぁ」と思われたくないですもんね。

「個人のブランディング」ってものを大事にしなくてはいけませんからね。

つまり人から見られる自分のイメージです。

ネガティブなことをネット上に書くのは、「ブランディング上」ご法度なんですね。

たとえそういった感情に支配されそうになっても、心の奥に葬り去らなきゃいけない。

ネット上では、何事もなかったように振る舞わなきゃいけない。

「イヤなことに触れない」のと「イヤなことは無いと宣言する」は違う

だから、ネット上では「聖人のような人」が溢れていますね。

ワシはね、負の感情を持つのは、人間であれば当然だと思います。

負の感情を持つと、不愉快です。

だから、できれば持たないほうがいいです。

だけど「持ってはいけない」と思うことは、かえって自分を苦しめる羽目になります。

「ネットでは、発信しないようにしよう」と決めたら、そうすればいいと思います。

でも「イヤなヤツだ」と思っても「親友の○○ちゃんでーす」って言ったり、

本当は「つまんねー」と思っても「○○さんの記念講演、ホントに楽しかった!」っていうのは、

みなさんが「ご法度」にしているはずの「虚偽」(つまりウソ)なんじゃないでしょうかね。

「イヤ、この人は親友のハズなんだ!」って言い聞かせて、自分までだましちゃってるのね。

「あたかも、そんな感情がないように振る舞う」のは「演出」としてOKだったとしても、「そんな感情は持ちません」って言っちゃうのは「ウソ」だよね。

世の中には、負の感情から解放されている人もいらっしゃいます。

実際に会って話してみたら「この人はホンモノだ」ってわかると思います。

実際にそうゆう人、ほんの数人だけど知ってるし。

現実的で成熟した人としての対処は、どうゆうものか?

ワシは、「負の感情から目をそらし、持っていないかのように振る舞う」のではなくて「負の感情と向き合い、うまく折り合っていく」のが、成熟したオトナだと思うんです。

その折り合いのつけ方が「その人らしさ」なんだろうし、本当の自分の姿だと言えます。

「個性を出して」「誠実に」「本心を」って言うのなら、そこまでオープンにやらなきゃね。

でも、折り合いのつけ方がその人らしさだとすると、

「私は負の感情から解放されているのだと自分にウソをついてダマす」

というのも、その人らしさということかもしれないなぁ。

こんなふうに思ったのは、この本を読んだからです。

002

著者は、哲学者。

「キレイなココロであろう」とする人の心をこじ開け

「そんなはずはないだろう。自分をだますな」

とばかりに、こちらに「見たくないもの」を見せつけてきます。

でもそれが真実なんだよね。

イヤな人はイヤだし、キライな人はキライ。

自分のエゴだということもわかっている。

001

「スキ」と同時に「キライ」も自然だし「自分らしさ」のひとつ

でも、相手の悪評を流して妨害するなど、実害を与えたりしなければ、「キライという感情そのもの」は悪いことというわけでもありません。

「みんななかよく」は理想として掲げられても、「保育園の1クラス」から「世界史」のレベルに至るまで、これまで人類が実現したことは無いのです。

「そうありたいと願う希望」と「そうでなくてはならないという義務感」は違います。

「スキ」ほど積極的に出す必要は無いけど、あってはいけないものでもない。

というか、現実に存在するものを「あってはいけないものだ」と言ったところで、どうしようもないではありませんか。

自分にとって「得になること」が何もないのに、人間であるがゆえにそうゆう気持ちを持ってしまう、というだけの話です。

「人を嫌いにならない」

ことを目指すよりも

「自分は、身勝手な理由で人を嫌いになるんだ」という現実を、さらりと許容できるような心の持ち方を目指すほうが、はるかに真実に近い気がするんですよね。

それとも、ワシがおもってるよりもはるかにたくさんの人が「負の感情からの解脱」ができているんだろうか。

どうかな。でも、

キレイな言葉が躍っているSNSでも、ちょっとした不祥事やスキャンダルが起きるとすぐに「バッシングの嵐」が吹き荒れますよね。

そんなのを見ると、ひとびとの心はそんなにキレイなものだけでできているようには思えないんだけどね~。