「やらない」ということの価値

「FaceBookをはじめなよ」って人から薦められているけど、なんだかヤル気が起きなくってさ~。

「商売なんだから、好き嫌いではなく、やるべきですよ!」
って意見にもうなずけます。

でも、ワシャ個人的に「キライだからやらない」っていうのはアリだと思うんです。

なぜかって言うと…

キライなことをやっても楽しくないから

キライなことをムリヤリやってたとえ成果が出たところで、
そこに自分自身はどんな価値を見出すのでしょうか。

人に価値を与えるだけではなく、自分自身もそこに価値を見出せなければ、強制労働とナンも変わらないんじゃないでしょうか。

ただ、仕事として考える場合、単純に「好きなことだけ」やっているわけにもいかないと思います。

「面倒だからやりたくない」ということとは違う、ってことです。

でも、商売だから好きなことだけで成り立つわけじゃない

「自分の方針に反するから、やらない」
ということです。

この場合「嫌いな理由」だとか「やりたくない理由」ていうのを、きちんと考えてみることが大事です。

なぜなら、その部分に自分が「価値を見出している」からといえるからです。

「キライ」は掘り下げてみると「自分独自の価値」である可能性がある

つまり
「やったらうまく行く可能性が高い」
ことを放棄してまで「やらない」わけですよね?

「うまく行く可能性」ぶんの価値を「やらない」という選択に見出していることになりますよね?

そこに「自分独自の理念」「自分の方針」というものが見出せるはずです。

それに賛同する人たちが多ければ、そして、自分自身がしっかりと「発信」できれば、自然と「応援してくれる人」は増えるはずです。

「なんかいやだ」「やりたくないからやりたくない」
ってものOKですけど。

「なんでそんなにもイヤだと思うんだろう?」

ってことも考えて、言語化してみたらどうでしょうか。

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【ひさびさの「迷作」】

この記事を書いた人

高橋 浩士
高橋 浩士
名古屋のスモールビジネスコンサルタント。
個人ビジネス、フリーランス、家族経営の売上アップ、経営安定化の支援。公的機関などからご依頼をいただいて小規模事業者向けのセミナー講師としても活動中。
個人ビジネス起業家向けビジネス入門塾「ワシ塾」を開催。主婦起業家や脱サラ起業の支援しています。

1965年名古屋市生まれ、名古屋育ち。システムエンジニアを9年、デザインスクール講師を4年経験後に、フリーランスや個人起業向けコンサルタントとして独立。
ミラサポ登録専門家、岐阜商工会議所登録エキスパート、(財)岐阜県産業経済振興センター登録アドバイザー、 (財)あいち産業振興機構登録アドバイザー