文章力よりも足りないもの

「文章力」というコトバに反応される人って多いんですね^^;

「オレ、文章力がなくってさぁ~」

って言ってる人を見ていて、ワシが個人的に思うことがあります。

この場合の「文章力」って、たとえば人のメルマガやニュースレターをチョコット書き換えただけで「自分のコンテンツ」にしちゃうことだとか、教科書に書いてあることの「てにをは」を替えただけでブログ記事にしちゃうこととは違います。

「自分という個性を発信していく文章」のことです。

なんか「いいこと」を言おうとして空振りしているというか、正直に言って読んでも書き手が何を言いたいんだかわからない。

そうゆう人に話を聞くと

「言いたいことはあるんだが、文章にまとまらない。文章力が無い」

と言うんですよね。

そうゆう人のお話しって、たいていの場合、聴いていても何が言いたいんだかよくわかりません(笑

つまり「頭と口」「頭と文章」が直結していて、浮かんだことをそのままアウトプットしているような形です。

本当に足りないのは、コレなんじゃないの?

「自分は文章力が無い」

と嘆いてる人や、「文章なんか書かなくったって」と達観している人を見て、ワシが思うのは

アナタに足りないのは文章力じゃなくて思考力だよ。

ということです。

「文章力が無い」って言ってる人の多くは、「感じる」「思う」ことと「考える」ことが、同じことだと捉えているように見えるんです。

「感じるままに書けばいい」「思ったままに書けばいい」と勘違いしています。

プロのエッセイストや詩人が「感じたままに書いている」と思いますか?

「感じたこと」を書いているのは間違いありませんが、決して「感じたまま」ではありません。

時間をかけて、推敲しているんです。

「こうしたほうが伝わるかな?」
「このコトバに替えたほうが、今の心境を的確に表しているかな?」

と、「考えて」書いているんですよね。

松尾芭蕉の有名な句

閑さや岩にしみ入る蝉の声

には、「しみこむ」「しみつく」など、どの表現がいいか悩んだ跡が遺されていると聞きます。

これはもう「感じている」んじゃなくて「考えている」状態ですよね。

「考える力」とは、頭の中にあることを比較、分析し、構造化して捉えることです。

これには、言語化が不可欠です。

先ほどの「岩に染み入る」という句も、「しみこむ」「しみいる」「しみつく」という「候補」が挙がらなければ「どれがいいのか」と考えることができません。

つまりそれだけの語彙が必要だ、ってことです。

言語力 > 思考力 > 文章力

0001_450
【思っているだけでは、思考力は見につかない】

考えることが苦手な人、面倒に感じる人に、よい文章は書けない。

と、勝手にそう思うんですよね。

だから、文章を見れば、その人の「考える力」っていうのが、モロに見えてしまっているように思うんです。

この記事を書いた人

高橋 浩士
高橋 浩士
名古屋のスモールビジネスコンサルタント。
個人ビジネス、フリーランス、家族経営の売上アップ、経営安定化の支援。公的機関などからご依頼をいただいて小規模事業者向けのセミナー講師としても活動中。
個人ビジネス起業家向けビジネス入門塾「ワシ塾」を開催。主婦起業家や脱サラ起業の支援しています。

1965年名古屋市生まれ、名古屋育ち。システムエンジニアを9年、デザインスクール講師を4年経験後に、フリーランスや個人起業向けコンサルタントとして独立。
ミラサポ登録専門家、岐阜商工会議所登録エキスパート、(財)岐阜県産業経済振興センター登録アドバイザー、 (財)あいち産業振興機構登録アドバイザー